解決しないという解決方法も、人生にはある

「解決しないという解決方法もある」

という名言を語ったのは確か(記憶の限りでは)中国の政治家だった気がするのですが。

 

誰が言った名言かは忘れてしまいましたが、20代の時にこの言葉を知って、「ほほう」と心に刺さったことを今でも鮮明に覚えています。

問題はすべて解決すべきものだと信じて疑っていなかったからです。

 

問題をそのままに(無理に解決しようとせず)、ただ目の前の日常をこなしていきましょう、という森田療法にも似ていると思います。

 

月日がすぎて、徐々にこの言葉「解決しないという解決方法もある」が、身にしみてきています。

 

(いや、今、べつに喫緊で大問題を抱えてるわけではないので心配しないでください。)

 

生きていると、大人になると、自分も、自分周りも徐々にいろいろな問題がひょこりと現れます。

 

その問題は、すぐ消えることもあれば、長引きそうな気配のものもある。

 

自分の問題のほうが、気が楽だったりしますね。

 

自分じゃない人の問題のほうが、自分が手出しできない範囲のことで、難しく、心をかきむしられることが多く、難儀です。

 

もー、本当に、自分が痩せたいなら、筋トレとかすれば済む話だけど、自分じゃない人の場合だとね

私がいくら筋トレしても無意味だし。。て感じで。

 

解決できていない状態は、辛くてしんどくて、気持ちが重くて、押しつぶされそう。

私は自分が到底解決できない問題を抱えたときに、ふっと歴史の流れに思いをはせます。

「私の知らないことは、歴史が知っている」という「歴史先生」スタンスです。(どういうスタンス?)

 

国家間の難しい問題。争い。

大きくヒートアップしている時には、全然解決しない。ということは歴史が物語っている。

 

大体は、停戦や休戦などで解決しないままに、なんとなくほとぼりを冷まし、何年もの歳月をかけてから、「そろそろ対話しましょうか」みたいな歩み寄りをもって、条項を決めたり、お互いにルールを決めて、なんとかやっていこうとする。

 

時代が変われど、そんな感じで解決(というか時間薬ですよねこれ)への糸口をつかむ歴史は、ずっと変わっていない気がします。

 

国家間と、個人の小さな世界を比べるのもアレですが。こじれたものの解決法って、こういうかたちしかないのかな、と思ってます。

 

時間は偉大ですが、まあでも、時間が経てば、我々も歳をとる。生まれた時間より、死ぬ時間にどんどん近づいてゆく。

 

どうせ経つ時間なら、問題を抱えていたとしても、そのときそのときの日常を大切に、大事に楽しく過ごしていきたいですね。(と自分に言い聞かせる)