人に歩み寄るのは、言葉以上に難しい

ちょっと前になるのですが。

幼稚園の運動会がありまして、運悪く(笑)その運営係になりました。

 

で、何回かの打ち合わせをこなし、本番当日を迎えたわけで。

 

年少のママたちは、運動会の運営は初めてなわけで、みんな右往左往しながらも当日の業務を他の在園先輩ママさんたちの動きをみながら見よう見まねでなんとかこなしました。

 

なんとか無事に運営を果たすことができ、やれやれ、やっと終わった、と充実感に浸っていたら、同じ年少のママの一人が、終わったあとに運動場のすみでメソメソ泣いている。。。。!

 

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わらわらと集まるみんな。

どうやら、「何をやってよいか最後までわからなかった」ということで泣いているようでした。

まあ、確かに細かい指示とかもなく動かなきゃいけない状態ではありましたが。

 

別に、そんなことで泣くかなあ、と思ってしまう自分がいました。

(みんな、大丈夫?とか、優しく声をかけている)

 

私は不器用で覚えが悪い人間ですが、同時にいやらしい人間でもあるので、運営の打ち合わせの資料などは前日に読み込んで暗記してきたり(コソ勉)、本番当日、みんながせっせと動いているなかで何をやってよいかわからない状況のときは、仁王立ちして難しいかおで腕組みし、さも「みなさんの動きを監督してます」風に見せてテキトーに乗り切ったりしていたんですが、

そのママさんはピュアな感じで、「みんながちゃんと動いているのに、私はちゃんと動けてない、お役に立ててない」というプレッシャーを真正面から感じている様子は、運動会の間、確かに見受けられました。

 

同時に、いままで何回か事前に行われた打ち合わせでも、そのママさんは「まあどうしよう、わからない」みたいなことをずっと言い続けていた印象があり、

「わからない人たちのために、今、打ち合わせしてるんじゃないのだろうか」

と思うこともありました。

 

また、本番でわからないことは、わかっている誰かに聞けば良いのに、なぜかそう言う人には聞かずに、同じわからない仲間のひとたちに聞いていて(みんなわからないから答えようがない)、

「泣くほどの情熱があるなら、その前にいろいろ打つ手はあったんじゃなかろうか」

と思う自分もいました。

 

でも!

 

家に帰ってからも、結構モヤモヤしていたのですが、まあ結局、上記に挙げた状況というのはすべて「私目線」のもの。

 

渦中の彼女に映っていた状況は、また違うのだろうな、とも思ったのです。

 

おそらく本当に彼女は、ただただわからなくて不安で、本当に誰に聞いてよいかわからなかったのかもしれない。打ち合わせも必死に聞いていて、それでもわからなくてとてつもなく不安だったのかもしれない。

適当にやりすごすということも、本当はできるのかもしれないけど、信条的にやりたくなかったのかもしれないし、運動会のイベントにかける比重も(子供の見ている前でしっかりしておきたい、みたいな)私とは全然違うのかもしれない。

 

彼女には彼女のやり方、感じ方、スタイルがある。

たかが幼稚園のイベント。

たまたま運動会の運営で気が回らなくても、誰か得意な人がフォローすれば良いだけの話。

仕事じゃないんだし。(仕事だってフォローが大事)

と私は思うけど、彼女はまた違う視点で捉えているのかもしれない。

 

私も年齢を重ね、以前より丸くなり、大人として人に理解ある人間になりたいと思っていましたが

 

「なんだ。私、若い頃とまだ全然変わってない」

「自分と感覚が違う人に対して、心が狭い」

「全然精進していない」

 

と、今回ふと思いました。

 

自分と違う考え方、やり方、捉え方をする人を、そのまま受け入れる、理解しようと歩み寄る、というのは、決して楽しい作業ではないかも。

 

「わかるー!」「わたしもー!」みたいに言ってられるのが、一番気持ち良いし。

 

まるごと受け入れる、という器量の広さまでは到達できないかもしれませんが、

「そういう考えもあるよね」

「自分の目に映る風景がすべて真実なわけではない」

という気持ちは、どこかで持っておこうと思います。