私は日常に敗北している

例えば、「お皿を洗うよりも子供の話を聞くことのほうが大事」、と頭では十分すぎるほどわかっているのに、しばしば

「お皿を洗っているときに子供にしつこく話しかけられ、イライラする」という事態が起き、「なんだか色々本末転倒だな」としみじみ思うのですが、なかなか直せないですね。

 

そういう日常の小さな家事に追われるせいで、だす必要性もなかった不機嫌をわざわざ持ち出してしまうとき、

「私は日常に敗北している」

と強く思います。あーあ。

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ちっちゃなことですが、こういう小さな日常の「敗北」の積み重ねのせいで、一生に一度の幼児期の子育てを、慈しみの気持ちを持ってできていない、というのは本当に残念で「不徳の致すところ」だ、と感じています。

 

家事め!

 

この前、旅行に行ってしみじみ感じたのが、「私は家事がキライだ!」ということ。

 

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キライでもあり、苦手。

それとも苦手だから、キライ?

そこらへんは、じっくり考えれば考えるほど「卵が先かニワトリが先か」みたいな話になってくるので、考えるのをやめました。

まあとにかく、「追って来るところ」がキライなのです。 家事の。

家事さえやってなければ、私はまあまあ機嫌の良い人間かもしれません。

 

でも、家事ができない、ていうのはそれなりにリスクがあることも、重々承知。

家事ができない、ていうのは、突き詰めていくと命のリスクすらあると思っています。孤独死の現場は、だいたい部屋がぐちゃぐちゃです。孤独に加えて、混沌とした部屋は、人の生気を奪っていく。

また、夫に先立たれたあとの奥さんが、元気一杯長生きする(個人的な印象ですが)のに比べ、夫が妻に先立たれると、あっという間にしゅわしゅわ元気がなくなっていくことが多いのも、「家事ができない」ことと因果関係がある気がします。

 

どんなにお金を稼ぐことができようと、コミュ力があろうと、頭がよかろうと、最終的に人生の後半戦では「家事がちゃんとできる人間」「身の回りのことをきちんと自分でできる人」が一番強いと、ひそかに考えています。

 

そういう意味でも、家事がキライとか言ってられないんですけどね。

 

家事はキライだし苦手ですが、家事について考察するのは、結構好きです。

幸田文のエッセイとか読むと、家事についてとても面白い記述があるんですよね。

ずいぶん前に読んだからおぼろげですが、幸田露伴が幸田文にお掃除のスパルタ教育を行いながら、

「家事に追い立てられるのではなく、家事を追い立てるんだ!」みたいなことを熱く語る描写に、大変ウケました(記憶がおぼろげですが、たしかそんな話)。

幸田露伴はやっぱりすごいよ!

と思いました。

 

「しつけ帖」というタイトルが、2020年を前にして、キレッキレで斬新。