片付けられない子供だった自分は、どんな大人になったか

本当に片付けられない子供だった

今もアレですが、私は小さい頃、ほんとうに筋金入りで「片付けられない子供」でした。

 

親には、「同じように3人子供を育てたはずなのに、あなただけが、片付けられないし学校で忘れ物は多いし、本当にびっくりした」

と言われました。

母が私の小学校の授業参観に行ったときに、黒板に張り出された「きょうの忘れ物したひと」という欄のすべてに私の名前がでかでかと記されてあるのを見て、卒倒するほどショックを受けたそうです。

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たしかに

  • ありえない忘れ物をよくしていた(教科書全部忘れる)
  • 学校の机も、自分の部屋の机もぐちゃぐちゃ
  • 給食の残りのパンをカビさせた
  • 大事なプリントをぐしゃぐしゃにしてしまった

色々してました。

親によく注意されたせいか、「自分は片付けられないんだ」という自覚も多りました。

成長してもそれはあまり変わらず、大学時代のゼミでも、社会人になってからも、机のなかがぐちゃぐちゃで、「まるで男子みたいな無整頓ぶりだ」と呆れられたことがあります。

 

片付けが苦手で困ったことがあまりなかった 

でも、片付けが苦手で、実生活でとんでもなく困ることがあったとか、リカバリー不可能なほどの失敗をしたかと言われると、記憶の限りでは、なかったんですよね。

本当に大事なプリントなどは、ぐちゃぐちゃの森の中でも、ちゃっかりクリアファイルでよけて保存してたり、本当に忘れちゃいけないことは、手の甲にマジックで書いたりしてたので(本当に。。なんていうか)、肝心なことは踏み外さずになんとかこれました。

 

「片付けについやす時間があるくらいなら、散らかしたままでいい。それより他のことに時間や情熱を注ぎたい」とすら思っていました。

「私にとって片付けの優先順位は低い。だから私に片付けを期待することを諦めてほしい」

と親にも言っていた気がします。生意気でしたね。

 

大人になって変わった価値観

そういう思考が、だんだんと変わったのは、やはり大人になって、人と生活することになったり、仕事で他人をフォローしたり見守る立場に変わっていったときでした。

自分のことだけを考えていればいい、という時代が終わった時期です。

片付けて、その空間を誰もが使いやすく、わかりやすく、快適に過ごせるようにすること。

それは、自分のためじゃなく他のひとのために必要なことなんだ、とようやく理解でき、何度言われてもピンことなかった「片付ける」ということの意味が腑に落ちた瞬間でした。

 

同時に、他のひとの効率的な整頓術を間近で見て、「ああ、片付けるってこういうことなんだ!」と感心する体験をしたことも大きかったです。

 

 目で見て、初めて納得できた「片付ける」技術

「すっきり片付ける」という行動を、

この目で見て、感じ入り、「そうか、こうすればいいんだ。真似したいな」

とはじめて思えたんです。

 

それまで、私は「片付ける」という言葉は頭のなかで知っていたけれど、実際に「すっきり片付けている」現場を目撃したことがなかったんですね、今思えば。

(実家は、母が毎日掃除していたけれど、いらないものでもなかなか捨てずにとっておくタイプで、すっきりはしていなかった)

 

だから、実際に目の当たりにして(職場の先輩で、必要ないものを処分する姿がスピーディーで、鮮やかで衝撃だった)、

「捨てていいんだ」

「片付けるって、自分が思っているよりも簡単なのかもしれない」

「私もすっきりしてみたい」

と、その姿から色々なイマジネーションや希望をもらったんです。

 

そのあたりから、コツコツと断捨離の本を読んだり片付けの本やミニマリストの本を読んで、片付けに興味を持ち続けて現在に至ります。

 

片付けられない子供だったけど、現在は片付けに興味を持ち、それなりに実践しようと奮闘するところまではなんとか成長しました。

歩みは非常に遅いけれど、人間、多少は変われるもんだと思っています。