生活をコントロールする快感は、モラハラと紙一重?

午前中からスムーズに子供を送り出し、部屋の換気から始まり、晴天のもと洗濯もチャチャチャと済ませて掃除、食器洗い、メールの返信、ちょっと億劫な燃えないゴミのゴミ出しなどを昼前までにできて、すっきりした部屋でコーヒー飲みながらブログ書いたりできたら本当に気分が良くて、そんな日が、大好き。

 

気分の良さは、「私はきちんと生活をコントロールできている」という達成感と自信に拠るものかなと思ってます。

 

持って生まれた性根は、多分だらしないタイプの人間なので、それがわかっている分、なんだか私、ちゃんとできている!と思えるときは、とっても嬉しくて、誇らしい気持ちでいっぱいに。

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そのぶん、ちゃんとできない日は(大体ちゃんとできていない)自分のことを責めたり、だめだなあぁぁぁぁと世界の終わりのように落ち込んでしまうことも。

 

大体、乳幼児を2人抱えて「ちゃんとした生活」とか「きちんと生活をコントロールする」なんて、はなから勝てない戦いに挑んでいるようなものなのに。

ばかだなあと思います。

でもなぜか、その勝てない戦いに挑んでしまう。

なぜなのでしょう。

やっぱり、自分なりに「ちゃんとした母親になりたい」とか「世間でまともと思われたい」とかいう思いがあるからなんですよね。

 

そして、その思いがうまく昇華されずにこじらせると、自分の家族にも「ちゃんとして」(⇦自分が全然できてないのに)を強要して、モラハラっぽくなってしまうことも。

そもそも、1歳児に「ちゃんとして!」とか言っても無駄なのにね。

(もちろん、少し大きくなったら色々なことをちゃんとできるようになってほしいけど!大変だからね!)

 

モラハラ(モラルハラスメント)、て最近認知されるようになった言葉ですが、

「そっか、あれもこれも、モラハラだったよなあ」

と過去のことを思い出すことが多くて、びっくりします。

中学の部活なんて、ほとんどパワハラとモラハラの嵐だったし!

わたしも、もしかしたら先輩社員だったときに新入社員とかにやってなかった?と痛みを感じながら我が身を振り返ることも。

 

色々な意見があるかと思いますが、「モラハラ」ていう言葉が浸透してきたのはいいことだと個人的に思っています。

いままで、不条理に耐えなくてはいけなかった「こと」に、ちゃんと名前がついて、それを声に出して言える環境ができるきっかけになっていると思うし。

言葉の力、てやっぱりすごいですね。